〜こくどうふうけい〜
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ツーリング中にたまたま走った都道府県道や国道での写真です。 |
☆★☆ こんてんつ ☆★☆ |
国道58号線本土区間 (鹿児島県鹿児島市) |
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国道58号線は、九州から種子島・奄美大島と島づたいに海を渡り沖縄本島に達する2ケタ国道で、鹿児島県鹿児島市〜沖縄県那覇市間を結ぶ全長約256kmの国道です。沖縄本島の2ケタ国道という感じがしましすが、鹿児島県内の種子島・奄美大島も走っています。 そんなR58ですが、起点からわずか700mだけ日本本土を走っています。日本本土で走れるR58として貴重な区間なのです。(参考>>R224) 鹿児島市内の『港国道』ではありません。念のため・・・ (1996年4月/2002年4月走行) |
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3ケタ国道25号線? (奈良県〜三重県) |
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国道25号線は、三重県四日市市と大阪府大阪市を結ぶ全長約140kmの2ケタ国道です。この間のうち、奈良県天理市〜三重県亀山市までの間は『名阪国道』と呼ばれる無料の自動車専用道がR25として指定されています。 ところで地図を見ると『名阪国道』に沿ってもう一本の国道が走っています。実はこれもR25。名阪国道が原付・125cc以下のバイクが走行できない為に併走する道を国道に指定したのかどうかは分かりませんが、立派なR25として地図に載っています。 このR25地道区間、R25という2ケタ国道ながら道の状態は3ケタ国道そのもの。天理市内や伊賀上野市街、名阪国道とのIC付近といった区間は2車線区間なのですが、そこを外れると走る車も少ない田舎を走る1.5車線国道となります。 特に板屋ICと関町内のR1との交差点までの約6kmの区間は、加太川沿いに進む1.5車線区間で少し山の中を通るためか一部狭いところや見通しの悪い区間もあって3ケタ国道の雰囲気が濃い区間です。この区間も含めたR25地道区間の三重県上野市〜三重県鈴鹿郡関町の間は1963年(昭38年)までR163だった区間なので、当然といえば当然かも知れません。 1953年(昭28年)の誕生当時のR25は大阪府大阪市〜奈良県奈良市の国道だったのですが、1963年(昭38年)の名阪国道工事着工の年に現在の区間に延長されています。私の推測ですが、奈良県天理市〜三重県上野市〜三重県亀山市の区間のBPとして名阪国道を建設するということで、R25地道区間をR25として指定したのではないでしょうか。名阪国道は1966年(昭41年)に供用開始されましたが、旧道区間(R25地道区間)はそのままになったようです。
大阪市内の御堂筋(梅田→難波の南行きのみ)と1.5車線ローカル国道区間が、共に同じ国道25号線だというからおもしろいものです。1〜58号線の1ケタ・2ケタ国道でこれだけの落差のある国道は他にあるのでしょうか? |
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1998年(平10年)11月26日 |
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『谷瀬の吊り橋』で有名な十津川村上野地地区。現在R168は、この地区をTNで一気に通過しています。『谷瀬の吊り橋』に向かうには、TN手前で脇道に逸れて集落内を通る1〜1.5車線道に入らねばなりません。『谷瀬の吊り橋』前を通る、この集落内を走る道がTN開通前の旧R168。上野地BP開通までは、こちらがR168本道でした。土日祝日、盆休みになると、吊り橋に訪れる人達の車・観光バスが集中して大渋滞が発生していました。 R168BPTNとなる上野地TNは、1998年(平10年)11月26日14時に供用開始されましたが、偶然にもこの供用開始時刻に通りかかったので、『BP供用開始直後の渡り初め』という滅多にお目にかかれないことを体験できました。以下はそのレポートです。 |
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この日(1998年11月26日)、1998年最後のR168走行を兼ねて湯の峰温泉に向かうことにしました。奈良県五條市でR310からR168に入ると、電光掲示板に『上野地バイパス開通11/26 14:00供用開始』と表示されていた。上野地BPがどこか分からず、そのままR168を南下して行くと、対向車線を数台の黒塗りの公用車が過ぎて行きます。開通式典を終えた奈良県のお偉方を乗せた車でしょう。 『あの人達も山道を走ったら酔うんやろか?運転手の人達も車を擦ったりしたら運転手も大変だねぇ〜』と思いつつバイクを走らせます。 やがて谷瀬の吊り橋に近づきます。最近改良された2車線カーブを曲がると、吊り橋前に向かう走り慣れた1.5車線道とは別の2車線道が出来上がっていました。『あ〜、そういやや2年ほど前からここでBP工事してたっけ』と現場に来て思い出しました。そう、ここが今日開通する上野地BPなのです。 時刻を見ると13:47。開通まであと13分ほどであります。作業服姿の工事関係者の人に「パレードしますんで待ちませんか」と言われる。こんな体験は滅多に出来ないので、先を急いでいないので待つことにしました。すでにたまたま通りかかったというライダーさんがいたので私は2番手になります。そのライダーさんと「パレードだから40k/hぐらいでゆっくりと走りましょう」と打ち合わせをしている間にも、これまたたまたま通りがかった人達の車が並びます。そのうちの一人である地元のおばちゃんは、このことを知って急いで家に帰り車で戻って来たとか。『こんなん初めてやわぁ〜』とかなりはしゃいでいました。私も初めてです。 ワクワクしながら供用開始時間を待ちます。いざ開通となってエンストしてはいけないと、13:55頃からエンジンをかけバイクに乗って待機します。59分を過ぎると現場主任らしき人がじっと時計を見つめ始めました。カウントダウン開始です。なんとなく緊張します。 『20・・・10・・・5・4・3・2・1』14:00、工事用の柵が取り除かれて上野地BPが供用されました。バイク2台を先頭に初めてBPに一般車両が入ります。地元新聞の記者なのか役場の広報の人か分かりませんが、、たった1人の記者兼カメラマンによって『上野地BP供用開始』という歴史的出来事を記録します。(大げさやのぉ〜) 2台のバイクを先頭に10台ほどの車の集団が進みます。まるでパレードを先導する白バイの気分です。『白バイ隊員はこういう気持ちになるのかねぇ〜』と呑気なことを考えながらBPTNに入ります。 煌々と照明が光り、真新しいコンクリートで覆われたTN内を進みます。もちろん路面は真新しい舗装でペイントしたてです。やがてトンネル中央付近で反対側(新宮側)からやってきた集団とすれ違います。BPTN開通を祝してか、トンネル内でクラクションを鳴らしあって開通を祝います。わずか数kmのBP開通でこれだけ盛り上がるのだから、明石海峡大橋開通時はもっと凄かったのでしょう。何にせよ『BP供用を祝う』という連帯感を感じることができたことで妙にうれしくなります。 トンネルの新宮側に出ます。反対側(TNの新宮側)に居た人達と挨拶します。この付近は、今までよく走っていたので見慣れた風景のはずなのですが、初めて訪れたような気がします。山をくぐって反対側に出るというのはこういう感じがするのでしょう。 開通記念パレードは5分ほどで終わってしまいました。偶然とは言え貴重な体験をした日でした。クセになりそう・・・ |
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