国道333号線

起点:北海道旭川市→終点:北海道北見市端野町(173.5km)

●概況

 R333は旭川市と北見市端野町を結ぶ3ケタ国道。R39から別れてR39石北峠の北にある北見峠を越えて進み、北見市端野町でR39と合流する。旭川・美幌間の距離でみると、R333経由の方がR39よりも短く、旭川・美幌間の最短経路となる。ゆえにR39石北峠経由よりも若干早く旭川・美幌間を移動出来る。

 北見峠区間はかつてはR39だった区間であり、明治時代までさかのぼることができる歴史のある国道だったりする。

●取材DATA

>>走行日:各項参照

>>走行方向:各項参照

>>レポート記述方向:終点→起点

●R333レポート>>R333(1)/R333(2)

 

 

●変遷

 昭和50年(1975年)4月1日:北海道旭川市〜北海道常呂郡端野町(現:北見市端野町)の国道として誕生。

 現在に至る。

●歴史

◆中央道路

 R333の歴史を遡ると明治時代中期に開通した『中央道路』にたどりつく。別名『北見道路』『囚人道路』と呼ばれる道路で、どちらかというと後者の別名が有名である。『中央道路』は”中央道路構想”で建設された道路で、北海道開拓と北方の防衛という二つの目的を持っていた。(詳しくはこちら

 明治24年(1891年)12月末に、数多くの犠牲の上に『中央道路(北見道路)』が開通する。この道路がR333の先祖ということになる。中央道路は明治28年(1895年)3月に仮定県道中央線(旭川〜網走)に指定されると、明治30年頃から沿道を中心にして開拓事業が本格化し利用者も増加した。しかし名寄まで鉄道が開通した影響で利用者が激減したことを受けて、明治37年(1904年)10月に県道旭川根室線に降格となる。

 明治40年(1907年)5月、県道旭川根室線は再び仮定県道に昇格。仮定県道中央線(北海道庁〜網走支庁・桧山支庁)の一部となった。さらに大正9年(1920年)4月に、旭川以西の区間が(大正)国道二十七号線・二十八号線に指定されたため、残る旭川以東の旧中央道路(北見道路)区間は地方費道旭川根室線に指定。旭川と網走・根室を結ぶ幹線道路として整備が進められた。

◆国道39号線

 戦後の昭和27年(1952年)12月、新道路法にもとづき(昭和)国道が制定される。この時、地方費道旭川根室線は『一級国道39号線』(旭川〜網走)に指定された。今のR39であるが、誕生当時は地方費道旭川根室線のルートを通っていた。すなわち旭川〜愛別〜上川〜北見峠〜白滝〜丸瀬布〜旭峠〜留辺蘂〜北見〜美幌〜網走であった。昭和32年(1957年)10月、上川〜層雲峡〜石北峠〜留辺蘂間の道道留辺蘂上川線が開通する。道道留辺蘂上川線経由だと、旭川〜網走間の移動距離は北見峠を経由する国道39号線経由と比べると約20km短縮されたことから、昭和35年(1960年)6月1日に国道39号線の経路は層雲峡・石北峠経由という現在のルートに変更となった。

 それまで一級国道であった北見峠経由のルートは道道に格下げとなり、上川〜遠軽間は道道遠軽上川線、遠軽〜清川〜佐呂間栄〜留辺蘂間は道道生田原上佐呂間留辺蘂線に分割された。さらに後者は昭和47年(1972年)に道道北見生田原線(北見仁頃〜佐呂間栄〜生田原安国)と道道留辺蘂常呂線(留辺蘂〜佐呂間栄〜常呂)に分割された。

 昭和45年(1970年)4月1日にR273が誕生し、道道遠軽上川線の上川〜上越間がR273となった。その5年後の昭和50年(1975年)4月1日にR333が誕生し、道道遠軽上川線と道道北見生田原線 、道道仁頃端野線の三路線が国道に昇格しR333となった。これら道道がR333の前身となる道となる。

 ちなみに現在の車道となる北見峠の新道が開通したのは昭和47年 (1972年)11月7日。道道遠軽上川線時代の昭和43年(1968年)に北見峠〜奥白滝間(L=7.9km)、昭和45年(1970年)に上越〜北見峠間(L=5.4km)の改良工事・道路整備が開始されたもので、R333昇格時から新道経由だったことになる。 この時に北見峠東側(北見側)は新道に切替られたが、中央道路の末裔である北見峠旧道がR333であったことはなく、北見峠旧道は厳密に言えばR39旧道というのが正しいということになる。新道に切り替えられた北見峠東側区間は最後まで舗装されることはないまま旧道(→廃道)となった。最後まで北見道路時代の面影を残す区間だったのだろう。

◆国道333号線

 R333単独区間内では大きな峠を4つ越えていた。旭川寄りから北見峠・旭峠・ルクシ峠・端野峠で、北見峠と旭峠は国道39号線時代から国道が越えていた峠である。国道昇格後はこれらの峠で道路整備が進み、北見峠以外の3峠については、平成5年(1993年)に は端野峠に端野トンネル、平成14年(2002年)11月には旭峠に旭野トンネルを含むR333旭峠道路、平成21年(2009年)3月に はルクシ峠のバイパスとして新佐呂間トンネルが開通。北見峠には、R333のバイパスではないが、R450(旭川紋別自動車道)の北大雪トンネル(L=4098m)が平成14年(2002年)3月末に開通。4峠にバイパストンネルが開通している。

 R333バイパスについては災害絡みの事業がある。R333仁頃トンネル(L=910m)は平成13年(2001年)10月4日に発生し2名の犠牲者を出した北陽岩盤崩落災害を受け建設された。災害現場すぐ東にあるルクシ峠付近も岩盤崩落現場と同様の地質であることから建設されたのが新佐呂間トンネルで、佐呂間防災事業として建設された。ところがこの事業中の平成18年(2006年)11月7日に工事現場近くで竜巻が発生(北海道佐呂間町竜巻災害)。工事が一時中断した。この竜巻災害では工事関係のプレハブ小屋が直撃を受けて倒壊。作業員9名の犠牲者を出している。

 またR333の紋別郡遠軽町以東の区間については、R450(旭川紋別自動車道)に接続するような形で、地域高規格道路の遠軽北見道路の建設が進んでいる。R333のバイパス道路として建設された旭峠道路もその一部である。現在は平成19年(2007年)度に事業化されたR333生田原道路(L=5.7km)が、平成21年度から工事着手されており、開通すれば旭峠道路に接続することになってい

る。残る区間については計画中となっている。

 R450(旭川紋別自動車道)の延伸により、R333の紋別郡遠軽町〜北見市端野町(旧:北見郡端野町)間は交通量が増加している。北見から旭川紋別自動車道へのアクセス道路となるためで、整備が進むにつれて今後は年々交通量が増えることになる。ただR450と平行するR333の上川郡上川町〜紋別郡遠軽町丸瀬布(旧:紋別郡丸瀬布 町)間は交通量が激減しており、北見峠越えの主役はR450北大雪トンネルに移った形になる。現在、旭川〜北見間のメインルートはR39石北峠経由ルートなっているが、いずれはかつての『中央道路』である北見峠経由ルートがメインルートなるのだろう。そのときメインルートとなるのは高規格道路で、一般道路であるR333はローカル国道になるのかも知れない。

【参考・引用文献】 北海道道路史T〜V 北海道道路史調査会編 平成2年6月刊

新北海道史 第四巻 昭和48年8月刊

国道333号線(1)

北海道北見市端野町〜北海道紋別郡遠軽町

 

国道333号線(2)

北海道紋別郡遠軽町〜北海道上川郡上川町〜北海道旭川市

 

◆Update:平成24年(2012年)3月 10日

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