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国道425号線 (6) |
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奈良県吉野郡十津川村〜三重県尾鷲市間の三重県内の区間は、もともとは1960年代の電源開発絡みで建設された工事用道路などが前身の区間。ほとんど民家のない深い山中を進む秘境3ケタ国道区間となっています。 この区間で注目すべきなのは坂下隧道。100年以上前の明治44年(1911年)に竣工したトンネルが、まだ現役というから驚き。全国の現役国道のトンネルの中では、おそらく最古の道路トンネルと思われる。 |
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■三重県尾鷲市 |
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●歴史>>こちら |
国道425号線 【三重県尾鷲市】 |
レポートは県境(奈良県吉野郡上北山村)→三重県尾鷲市方向(終点→起点方向)です。】 |
■三重県尾鷲市 【尾鷲市南浦】 |
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県境を過ぎると三重県尾鷲市に入る。尾鷲市といっても深い山中で、奈良県内のダム湖沿いを行く区間とは違い古川沿いの谷間を行く。見通しの悪いカーブが続くがアップダウンは少なく走りやすい道が続く。 古川沿いを進む狭路を2kmほど進むと林道川原小屋線が分岐する八幡橋西詰に至る。R425は橋を渡って八幡トンネルに入る。橋とトンネルの銘板を見てみると、両方とも昭和33年(1958年)9月に竣工したようで、ダム建設絡みで建設された道路であることが分かる。 八幡橋で古川を渡り八幡トンネルを出ると、R425は山の斜面を急勾配・急カーブが連続する見通しの悪い狭路坂道となって下って行く。八幡トンネル西側の区間とは違って急坂が続くことになる。ウネウネと曲がりながら標高を下げる急坂を2kmほど進むと谷間に入る。さらに1kmほど進むと橋を渡って又口川沿いの深い谷間を進む狭路になる。谷間を行く典型的な狭路の3ケタ国道である。 平坦な1〜1.5車線道が断続する谷間の狭路を3kmほど進むと道幅が広がり2車線道になり、又口の集落にる柳ノ谷林道分岐点に到着する。県境から約9kmである。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■三重県尾鷲市 【尾鷲市南浦】 |
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又口川と柳ノ谷の合流付近にあるのが又口地区の集落である。柳ノ谷林道との分岐点には民家(公民館?)がある。人家としては吉野郡上北山村名古瀬地区以来の人家であるが、雨戸が固く閉じられており人が生活している気配はない。それでも久しぶりの人家なのでホッとする。 林道分岐点を過ぎると、道幅は再び1.5車線道になる。見通しの悪い平坦な狭路を淡々と2kmほどで尾鷲市清掃工場に至る。人がいる施設としては吉野郡下北山村の池原ダム以来となる。清掃工場という名称が付いているがゴミ焼却場のこと。近くの中村谷には不燃物処理場もあるそうで、この付近一帯はそういう施設が集まっていることになる。清掃工場から先は乗用車よりもゴミ収集車とすれ違う方が多くなるが、その理由はそういうことによる。 清掃工場前を過ぎてからも蛇行する又口川に沿って淡々と進む。中村谷を渡りしばらく進むと左側の山の斜面に発電所の導水管が見えてくる。この導水管は坂本貯水池から山を貫いて来ている。やがて長尾トンネルを抜けるとクチスボダムによって出来たダム湖(クチスボ貯水池)を渡って尾鷲第一発電所前に至る。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■三重県尾鷲市 【尾鷲市南浦】 |
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尾鷲第一発電所前からはセンターラインのない2車線道となってクチスボ貯水池沿いを進んで行く。道は湖岸から少し離れた所を進むので、ダム湖を見ながら進むことはない。クチスボダム近くでようやくダム湖を見ることが出来るぐらいだ。見通しの良い道をしばらく進むと、倉庫か車庫のような施設が見えてくる。その向かい側にはテニスコートがあった。周囲に集落や観光スポットもない所にテニスコートがあるの が不思議である。 発電所前から1kmほど進むとクチスボダムに至る。このダムは横を通り抜けるだけで、ダム横付近からはクチスボ貯水池を見ることが出来る。ちなみにクチスボは『口窄』と書く。ダムを過ぎると緩やかな勾配の坂道を下り、ダム横から500mほどでr760(県道南浦海山線)との交差点となる矢所橋北詰に至る。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■三重県尾鷲市 【尾鷲市南浦〜尾鷲市坂場西町】 |
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矢所橋を渡った南詰で林道口窄線が分岐している。ダムの名前の由来となった口窄谷沿いに進む林道だ。林道分岐点となる矢所橋南詰を左に向かうと又口川に沿って進むが、しばらくすると又口川から離れて支流に沿って進んで行く。やがてその支流からはも離れ、鬱蒼とした深い山中を進んで行く。r760交差点から2.5kmほど進むと、重厚なレンガ造りの坂下隧道に到着する。 R425のトンネルとなっている現在の坂下隧道は明治44年(1911年)8月に竣工した二代目隧道。平成23年(2011年)夏で竣工100年 を迎えたことになる。総延長約333mのトンネルだが、幅は1車線ほどしかないためトンネル内でのすれ違いは不可能となっている。ここまでのトンネルとは違い、トンネル内部には照明が設置されている。これは距離が長いのとゴミ収集車などが頻繁に通るからだろう。ちなみに初代坂下隧道は明治33年(1900年)に竣工したものの、尾鷲側の地質が脆く頻繁に道路崩壊したため、竣工11年後にして廃棄されている。初代隧道も現存しているが、@管理人は今だに訪れていない。 坂下隧道を出ると深い山中に出て狭路坂道を下って行く。尾鷲市街まで数kmなのだが、これから山奥に向かうような道路状況になる。坂下隧道を出るとすぐにもう一つトンネルをこえる。坂場トンネルというトンネルだが、こちらは昭和33年(1959年)3月竣工と、坂下隧道以外のトンネルと同時期につくられている。ダム建設による資材運搬などで建設されたのだろう。 坂場トンネルを出ると急なヘアピンカーブを曲がり、先ほど走った道を見上げながら一気に下って行く。しばらく見通しの悪い急カーブが連続する狭路坂道を下って行く。坂下隧道から900mほど進むと尾鷲市街地が見えるようになり、やっと町に下りてきたこととR425も終わりに近いことを実感できるようになる。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■三重県尾鷲市 【尾鷲市坂場西町】 |
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1.5車線急坂を下って行くと、突然山中から抜けて町中へと至る。建設中の紀勢自動車道を過ぎると狭路を坂道を下り、急カーブを曲がると尾鷲市坂場西町の町中に入る。奈良県吉野郡下北山村のR169交差点から走って来た場合、初めて入る町であり、逆方向だと最後の町ということになる。 R425は町中を行く生活道路とな る。当初は狭い道幅だが、すぐにセンターラインのある2車線道になる。昔はそのまま町中を進み、一方通行規制のある狭路となってR42との坂場交差点に向かっていたが、平成24年(2012年)3月20日に紀勢自動車道海山IC〜尾鷲北IC間(L=6.1km)の供与開始に伴う整備で大きく姿を変えてしまった。 R425は坂場交差点から尾鷲北ICへのアクセス道路として整備され、写真37の地点から2車線道で直進。IC前交差点を左折して2車線道のまま坂場交差点に向かうようになった。R42との交点(起点)は以前と同じく坂場交差点のままとなっているが、交差点を改良して2車線道を接続させている。 この結果、以前の一方通行規制(R42→クチスボダム方向)が行われていた町中を進む狭路区間は、国道指定と一方通行規制を解除され市道に降格した模様。R425唯一の一方通行区間はなくなってしまった。 さて、尾鷲ICへのアクセス道路(R425バイパス)が接続することになった坂場交差点は、R425側で改良工事が行われた。以前は墓地だった一角を整理・整地して道路を通してR42と接続させている。この改良工事では歩道の設置などの工事も行われ、その結果、R425旧道は交差点入口を塞がれてしまい通り抜け不可能になってしまった。旧道を経由して坂場交差点に出ようとしても出ることはできなくなってしまったのだ。 かつては3ケタ国道らしい起点であった坂場交差点も大きく姿を変え、両方向通行可能な2車線道となっている。終点となる御坊市側のR42交差点付近も大きく姿を変えており、起点・終点両方で3ケタ国道らしい風景はなくなってしまった。 なお、R42との坂場交差点までは、県境から約20km、奈良県吉野郡下北山村のR169交差点から約45kmである。 |
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◆あめふらし@管理人より(H26.10.24記) H26.6の更新時においては現地(尾鷲)に行っていなかったので、某Gooleのストリートビューを参考にして書きましたが、やっとH26.10.16に現地に行ってきました。まぁ、ストリートビューで見たのと同じでしたので(当然か・・・)、本文はそのままにしてあります。写真は全く整理できておりませんので、更新はしばらく先になるかと思います。写真については開通前の写真を掲載し、写真説明コメントを修正しております。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■昔のR425 | ||||||
R425の奈良県吉野郡下北山村〜三重県尾鷲市間を初めて走ったのは平成8年(1996年)9月で、2回目の全区間走行を行ったのは平成13年(2001年)5月であった。その後は途中まで往復するなど部分的に走ったことはあったが、3回目の全区間走行 を行ったのは平成22年(2010年)5月となった。アクセスの都合で3回ともR169→R42(奈良県→三重県)方向に走行している。 尾鷲市街を除いた区間については平成8年頃から道路状態はほとんど変化していない。R425の国道標識の設置が増えたぐらいである。国道ではあるが、R42とR169を結ぶショートカットルートとしての機能は全く果たしていないことからも、今後も当分の間は変化はないであろう。 大きな変化があったのが尾鷲市街。平成13年(2001年)5月に走行した時は、まだ尾鷲市街は紀勢自動車道関連の工事は行われておらず町中を行く狭路であったが、平成22年に訪れると工事の真っ最中で今は大きく変化していた最中であった。R425のこの区間は、坂下隧道の代替トンネルが建設されることがあれば、尾鷲市街側から大きく変化して行くのだろうか。 |
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<<写真はすべて平成13年(2001年)5月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況 R425の奈良県内区間がダムによる貯水池沿いを走り続けるのに対して、三重県内区間は深い山中を行く3ケタ国道らしい狭路山道となっています。山奥を進む区間ですが、和歌山県〜奈良県間(R371〜R168間)とは違い、路面状態は良好でガードレールも設置されており、気分的に楽に走ることが出来ます。沿道にゴミ焼却場があることから、道路の整備はしっかり行われているようです。 平成23年(2011年)夏には坂下隧道が竣工100周年を迎えました。明治44年(1911年)に竣工して以来100年を経過した隧道が、国道トンネルとして現役というのはR425坂下隧道ぐらいではないでしょうか。今のところ新トンネルを建設するという計画はないようですが、いずれは代替トンネルが建設されるか大改修される可能性があります。当分の間は現役隧道として使用されることになるので、明治隧道らしい重厚なレンガ造りの隧道を通り抜けることができます。 尾鷲市内では紀勢自動車道が新直轄方式で建設され、平成26年(2014年)3月末までに紀伊長島IC〜尾鷲北IC間が開通。尾鷲北ICはR425に接続し、距離は短いですがR42から尾鷲北ICへのアクセス道路として生まれ変わりました。このアクセス道路の間は交通量が増えています。 ■交通量など 三重県内区間には尾鷲市街を除けば人が住んでいる集落はなく、事実上無人地帯を走ることになります。そのわりには交通量は多いのがこの区間の特徴で、通行する車輌の多くがゴミ収集車です。ゴミ焼却場から西、県境の区間になると交通量は皆無となります。 ゴミ収集車は走り慣れていることもあり、意外と速度を出している車も見かけました。また大型の運搬車も通行しているようなので、通行時は対向車に要注意です。 ■ガソリンスタンド ありません。 ■アドバイス 基本的に無人地帯を走ります。見通しの悪い区間も多いので、運転初心者の方は複数人か複数台で行かれることをお勧めします。 沿道には自販機が1台だけありましたが、稼働しているかどうかは不明です。商店などないので、自転車で行かれる場合は飲料水や食料は事前に購入しておくことをお勧めします。また尾鷲市街以外に人が住む集落はなく、人がいるとすれば途中にあるゴミ焼却場だけとなります。 公衆電話もなく携帯電話の電波も入りずらい地帯なので、何かあった場合の連絡方法がないので、バイク・車であれ自転車であれ、できるなら複数人で行かれるのがよいでしょう。 ■注意点 大雨や台風襲来の悪天候時、大雨の後などは土砂崩れなどの恐れがあるので走らない方がよいでしょう。通行情報を確認してから訪れることをお勧めします。 冬期は路面凍結・積雪のある地帯ですが、通行規制はないようです。通行できても路面状態には十分注意してください。 |
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●走行DATA |
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三重県尾鷲市 【終点→起点方向を走行】 >>走行日:平成22年(2010年)5月13日/他 |
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注意>>この区間は、走行方向問わず何度か走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。 |
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■この項終わり |