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国道425号線 (5) |
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奈良県吉野郡十津川村〜 三重県尾鷲市間の奈良県内(下北山村〜上北山村間)の区間は、ほとんどが池原ダムと阪本ダムによって出来たダム湖沿いに進む区間。現在の道はダム建設によりつくられた代替道路が前身です。 もともとの道は沿道にあった集落と共にその多くがダム湖に沈んでしまい、ほとんど民家のない深い山中を進む秘境3ケタ国道区間 となっています。 |
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■奈良県吉野郡下北山村〜奈良県吉野郡上北山村 |
●歴史(三重県尾鷲市〜奈良県吉野郡下北山村 ) 現在のR425の前身となる道は、阪本ダム建設に伴い資材搬入路として建設された道路と池原ダムなどのダム建設による代替道路である。かつてはこの区間には1000mほどの峠を越える小径を経由する尾鷲街道という街道があったが、R425の現ルートとは全く別の場所を通っていたので直接的なつながりはない。 1)尾鷲街道 下北山村の中心地である河合地区から尾鷲に向かう街道は、河合地区〜東ノ川地区〜尾鷲というルートで進むのだが、途中で台高山脈の本脈や支脈を越えていかねばならなかった。河合地区から東ノ川地区へは北から、荒谷峠(小橡〜出口)、サンギリ峠(河合〜坂本)、白川峠(白川〜坂本)の3つの峠道があり、河合地区と東ノ川地区の集落を結んでいた。 続く尾鷲方面には北から、木組峠(木組〜相賀)、出口峠(出口〜又口)、アゲグチ峠(出合〜又口)の3つの峠道と、東ノ川支流の古川上流から尾根を越える2つの小径があり、合計5つのルートで結んでいた。 これら峠道のうち、サンギリ峠道・白川峠道〜出口峠道・アゲグチ峠道が『尾鷲街道』と呼ばれ利用されていた。 2)村道尾鷲街道 明治時代に入ると、これら峠道の改修工事が行われた。工事は明治15年(1882年)に着手され、明治21年(1888年)に完成。村道尾鷲街道となった。この村道は、江戸時代の徒歩道のルートをほぼ踏襲しており、次の4路線からなっていた。@河合線(字向谷口〜坂本) A小橡線(字風折谷口〜又口) B白川線(白川〜坂本) C連合線(坂本ズンボ谷小橡線に合する間) 明治から大正・昭和にかけて、大体は明治に改修された道路を利用していたが、他の場所に索道や自動車道路が開設されると廃れしまった。ただ一つ、河合からザンギリ峠を越えて東ノ川に達する道(@の河合線か?)は、郵便物輸送路として利用されいた。この後、この道は県道河合尾鷲線となったが、のちに県道東ノ川河合線と県道折立 尾鷲線の一部となった。 また前述の峠道の他に東ノ川沿いに進む小径があった。戦後になってこの小径を改良・拡幅して、昭和28年(1953年)頃に下北山村池原〜下北山村大瀬まで小型自動車が乗り入れるようになった。昭和32年(1957年)5月には下北山村大塚まで延長された。これにより東ノ川地区の交通は格段に良くなった。 3)北山道路 尾鷲側からの道路が本格的に建設され始めるのは日清戦争後であった。日清戦争後の日本経済急成長に伴う木材需要の急増により、尾鷲町(当時)や上北山村の奥地にある天然林の伐採が注目された。そのための奥地開発道路として計画されたのが『北山道路』である。 まず木材の集散地であった又口から尾鷲町何枚田の間に車道を建設し、又口まで出された木材を牛馬車により尾鷲港まで出荷しようと計画。明治28年(1895年)10月に尾鷲町の林業家有志たちによって立案され、翌29年(1896年)の尾鷲町議会にて予算などを含めた案件が決議された ルートは、中井浦坂場地内から何枚田を登り、尾根に平行して坂下(さかげ)峠に達し、峠をトンネルで通り抜けて矢所に出る。この後は銚子川沿いにさかのぼり又口に達するという全長約13kmの道路であった。矢所〜又口間は川沿いの平坦路であったが、坂場〜坂下峠間は海抜0m地点から240mまで一気に登ることになる。牛馬車の通行が多いことを考慮して、出来るだけ緩やかな勾配で設計された。現在のR425の尾鷲市街〜坂下トンネル間が揺るやかな勾配の坂道が続いているのは、こういう経緯があった。 坂下峠にはトンネルが建設された。坂下トンネル(初代)は明治33年(1900年)3月に開通。延長約61m、高さ幅員とも3m64というもの。トンネル内は全部赤煉瓦巻きで建設され、総工費5000円を要した。しかい坂下トンネル(初代)の東側は崩れやすい地質で、頻繁に道路が決壊するような状態で大変危険であった。また4kmほどの迂回路でもあったことから新トンネルの建設が計画された。これが現在の坂下トンネル(二代目)である。 新トンネルは全長約332m、高さ幅員とも4m55で、明治44年(1911年)8月に開通した。総工費は約63000円であったが、約半分を尾鷲町が支出している。この坂下トンネル(二代目)の開通により、「古トンネル」と呼ばれることになった坂下トンネル(初代)は11年半ほどで役目を終えてしまった。初代トンネルは大東亜戦争中に帝国海軍の爆雷庫として活用されたが、戦後は放置された。現在も荒れ果ててはいるものの現存しているらしい。 さて坂下トンネルは、坂下隧道組合の経営による有料道路であった。最初、徒歩者は無料、大八車で二銭、牛馬車は五銭だった。その後、通行料は値上げされてゆき、大正11年(1922年)には、徒歩者は無料のままだったが、人肩による木炭の量によって一〜三銭が課せられるようになった。また一人引き荷車は七銭、二人引きは一〇銭、牛馬車にいたっては二〇銭となっていた。ここに至り、ようやく無料化を要望する声が上がり、大正11年(1922年)12月に隧道組合から無料化と町道への編入を希望する嘆願書が町長に提出された。翌12月の尾鷲町議会で、坂下隧道無料化の案件は承認され無料開放されて町道に編入された。その後は郡道に昇格したのち、大正12年(1923年)1月には県道尾鷲上市線(*1)に認定された。さらに大正13年(1924年)12月には県道竜の谷尾鷲線(*2)に名称変更された。
*1:上市とは奈良県大和上市のことであるが、奈良県側には該当する路線名がついた県道がない。いろいろと調べたら、大正15年(1926年)9月1日に内務省が指定した指定県道 があり、このうちの奈良県道二号線(奈良市ヨリ三重県北牟婁郡尾鷲町ニ達スル道路)がこれに該当するようである。 *2:尾鷲町又口の対岸、奈良県上北山村柳の谷のことで、どういうわけか奈良県では”竜の谷”と呼ばれている。
4)電源開発による道路整備 昭和25年(1950年)に施行された「国土総合開発法」に基づき、昭和31年(1956年)10月に「吉野熊野特定地域開発計画」が閣議決定され、電源・林業・農業の資源開発が行われることになった。このため電源開発を目的としたダムが計画され、詳細と経緯は省くが、最終的には奈良県下北山村に坂本ダムと池原ダムが建設されることになった。この坂本ダム建設に伴う資材運搬路の開削が電源開発株式会社によって行われ、三重県道竜の谷尾鷲線(北山道路)の又口から又口川上流に沿って建設された栃川原林道を利用し、同林道の終点から道路を建設。台高山脈を抜く八幡トンネルを建設し、昭和33年(1958年)9月に竣工した。県道自体も昭和33年(1958年)3月から改良工事が開始され、坂下トンネル手前の大曲りと栗の木橋の抜本的な改修が昭和34年(1959年)7月から行われ、現在の道路に近い状態となった。 奈良県内であるが、「吉野熊野特定地域開発計画」による電源開発事業では、当初は下北山村大瀬に大瀬ダムが建設されることになっていた。そのため大瀬ダム建設に伴う資材運搬路として、昭和31年(1959年)9月までに池原〜大瀬間の約7.2kmが幅2.5mの道路に改良された。しかし翌年になって計画が大きく変更され、池原ダムと坂本ダムが建設されることになり、この道路は沿線集落と共に水没することになった。そのための代替道路が当時の川底から100mほど高所に建設された。この道路が後にR425となった道路である。 奈良県側の新道は坂本から出合の古川渓谷に新出合橋を架し、同渓谷の右岸をさかのぼって電源開発株式会社が建設した八幡トンネルと八幡橋に接続するもので、昭和34年(1959年)5月に開通した。これにより尾鷲からの自動車・トラックによる通行が可能となった。この時点ではまだ池原への道路は開通していなかったが、昭和35年(1960年)4月25日に開通。ダム資材運搬路として利用され、 昭和37年(1962年)11月にダム竣工した後は下北山村池原地区と三重県尾鷲市を結ぶ道路となり、県道折立尾鷲線の一部となった。 その後、昭和47年(1972年)に県道尾鷲上池原線となり、昭和57年(1982年)4月に国道425号線に昇格した。 |
【参考・引用文献】 尾鷲市史 下巻 (昭和46年5月発刊)/下北山村史 (昭和48年3月刊)/東の川 (昭和37年3月刊)/上北山村の地理 (昭和39年5月刊) 十津川 (昭和36年5月刊)/奈良県史@地理 (昭和60年3月刊) |
国道425号線 【奈良県吉野郡下北山村〜奈良県吉野郡上北山村】 |
【レポートは吉野郡下北山村→吉野郡上北山村方向(終点→起点方向)です。】 |
■吉野郡下北山村 【下北山上池原】 |
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吉野郡下北山村上池原の上池原交差点を左折すると、R425はR169と重複し急勾配の2車線坂道を一気に上って行く。急勾配の坂道を1.2kmほど上ると音枝トンネル前に至り、トンネル前の交差点でR169から単独分岐する。R425はR169のカーブの途中から分岐するような形となっているため、上池原から来た場合はトンネル内から出てくるR169の南行きの車には十分な注意が必要となる。 交差点付近のR425は平坦な2車線道。池原ダム建設時に建設された代替道路なので道幅は広い。『大型車通行できません』という標識が設置されていることから狭路国道であることが予想できる。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■吉野郡下北山村 【池原ダム】 |
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R169との交差点から少し進むと池原ダムが見えてくる。昔は池原ダムの広報館があった広場横を過ぎると、ダムの堰提上を走る。ダムの堰提上にある道路が国道というのは、@管理人が走った限りでは、他にもR169七色ダムとR303横山ダムがあり、ダム上国道というのはいくつか存在している。 堰提上は緩やかなカーブを描く広い2車線道となっており、道路左側には池原ダムによって出来たダム湖を見ながら400mほどで堰提を渡りきるとダム湖対岸に 移り、R425はダム湖湖畔を1.5車線路で進んで行く。やや見通しの悪い平坦な狭路を700mほど進むと池原ダムの発電所に至り、ウノス橋で洪水吐(こうずいばき)を通り抜ける。ここから先のR425はダム湖湖畔を行く3ケタ国道区間になる。人が居るような施設があるのもここが最後とな る。この先は三重県尾鷲市のクチスボダム付近まで施設や家屋は数えるほどしかなく、それらも人の気配は全くない。事実上、ほとんど無人地帯を進むことになる。 |
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<<撮影年月の記載が無い写真はすべて平成21年(2009年)4月撮影>> |
■吉野郡下北山村 【下北山村下池原〜下北山村大瀬】 |
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ウノス橋を渡ると平坦な1.5車線道となって、池原ダム湖(池原貯水池)の湖岸を進んで行く。見通しの悪い急カーブが連続するので対向車に注意が必要になる。もともとはダム建設に伴う代替道路として建設された道路なのだが、建設されたのが昭和30年代なので、道幅や線形がこうなるのも仕方ない。道路の線形改良を行う様子は全くないが、路面状態は整備されており走りやすい。 R169交差点から3.5kmほど進むと、とぼと谷を渡るトボト橋を渡り、さらに500mほど進むとトボトトンネルを抜ける。トボトトンネルからはアップダウンの続く区間となり、見通しの悪いカーブが連続する1.5車線狭路にアップダウンが加わり、運転が少々疲れてくる。 トボトトンネルから3kmほど先にある清水トンネルを抜けてからもウネウネとダム湖湖岸を進み、いくつかの橋で谷を越えて進む。やがて赤い吊り橋が見えてくる。ダム湖(備後川)を渡る備後橋だ。見え隠れする備後橋を見ながらウネウネとした狭路を進み、清水トンネルから約2kmで林道備後川線分岐点となる備後橋西詰に到着する。R169交差点から約9kmである。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■吉野郡下北山村〜吉野郡上北山村 |
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備後橋を渡ってからもダム湖(池原貯水池)南岸を進む。風景はほとんど変化無く、見通しの悪いカーブが連続する平坦な狭路をひた走る。備後橋から1.7kmほど進むと吉野郡上北山村に入る。住所的には大字白川となるのだが、沿道に人家は一軒もない。かつては川沿いに集落があったのだが、今は全てダム湖に水没してしまった。 上北山村に入ってからもアップダウンの続く狭路を進んで行く。地形的には上北山村に入ってからの方が厳しいようで、断崖下を進む区間が長くなった。カーブの続く見通しの悪い1.5〜狭い2車線道を淡々と進んで行く。吉野郡上北山村に入ってから6kmほど進むと平坦な2車線道となり坂本ダムに到着。R169交差点から約17kmである。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■吉野郡上北山村【上北山村河合〜上北山村白川】 |
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坂本ダム付近には公衆トイレがあり休憩ポイントとなるが、周囲に民家はもちろん自販機などもない。池原ダム以遠で久々の施設なのだが人気が全くない場所である。 坂本ダム横では林道サンギリ線が分岐が左に分岐してダムの堰提上を進んで行く。林道を走れば山を越えて上北山村河合の町中に至る。R425はダム上を進まずに分岐点を右に向かう。ダムを過ぎるとすぐに坂本トンネルを通り抜け、坂本ダム湖(坂本貯水池)南岸をウネウネと進んで行くと、再び赤い吊り橋が見えてくる。出合橋である。備後橋と同じく見え隠れする出合橋を見ながら狭路を進んで行くと、坂本ダムから約2kmで出合橋を渡り、橋の東詰にあるr228(県道東川河合線)との交差点に至る。R169交差点から約19kmである。 出合橋を渡ってからは古川沿いに進んで行く。この付近は大字河合と大字白川の交錯地のようで、出合橋東詰は大字河合、西詰は大字白川となっている。橋を挟んで2枚のR425国道標識もあるが、標識の地名も同じようになっている。 古川右岸に移ったR425を1.5kmほど進むと、正面に滝が見えてきた。ここも休憩ポイントなる場所だ。ほどなくして滝を真正面に見ることが出来る不動橋に到着する。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■吉野郡上北山村 【上北山村白川〜県境】 |
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不動橋を渡ってからもダム湖(坂本貯水池)沿いを進んで行く。見通しの悪い1.5車線狭路を1.4kmほど進むと 、続けて2本の短いトンネルを通り抜ける。高倉第一・第二トンネルで、両トンネルとも馬蹄形の狭路幅しかないトンネルだ。ダム建設による代替道路の一部として建設されたトンネルだろう。 高倉第一トンネルを出ると深い谷間を淡々と進む。トンネルから1kmほど進むと、2〜3軒の民家がある名古瀬(なごせ)集落に至る。この区間のR425では唯一の集落だが、人が住んで生活している様子はない。この集落が奈良県内最後となり、この先は三重県尾鷲市又口付近までの約10kmの間には人家はない。 集落を過ぎると貯水池は終わり、流れが戻った古川沿いを進んで行く。道幅は狭い2車線ぐらいあるので走りやすい。名古瀬橋を渡ると古川左岸に移り、古川を左側に見ながら狭路を進む。R425奈良県内最後のトンネルとなる瀧トンネルを過ぎると平坦な1.5車線道を進み、奈良県・三重県の県境に到着する。出合橋東詰から約6km、R169交差点から約25kmである。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
■吉野郡上北山村 【県境付近】 |
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平坦な1.5車線道を進むと奈良県・三重県の県境に到着する。県境付近には道路の他には何もない。県境は峠や川ではなく、谷間の広場に突然現れる。地形図を見ると山の稜線に県境が設けられているようだ。 県境でR425の奈良県内区間は終わるのだが、上位国道との重複区間も含め、和歌山県との県境から三重県県境までのR425奈良県内区間の距離は120kmほどとなる。 |
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<<写真はすべて平成22年(2010年)5月撮影>> |
<<MEMO>> |
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■概況・交通量など R425奈良県内区間はほとんどがダム湖(貯水池)沿いを走る区間となります。池原ダムによるダム湖(池原貯水池)と坂本ダムによるダム湖(坂本貯水池) です。坂本ダムは昭和37年(1962年)、池原ダムは昭和40年(1965年)に完成しており、それに伴い建設された代替道路や工事用道路が現在のR425の前身ということになります。 これらの道路は昭和30年代中頃に建設されたもので、線形や道路の道幅やトンネルの形も同時代の標準的な形で建設されましたが、今となっては狭路となっています。 下北山村白川や大瀬、上北山村出合などには集落がありましたが、ダム建設に伴い全て水没。標高の高い現道沿いに移転した家屋もあったそうですが転居などで無人となり、今残るのは上北山村名古瀬地区の集落だけとなっています。名古瀬集落も人は住んでおらず、たまたま出会った方の話では村の宿泊研修施設として利用されているそうで、定期的に掃除などで来るぐらいだそうです。出合橋東詰からのr228沿いにも集落はありますが、すでに人は住んでおらず、年に数日お墓参りや掃除などのために訪れるだけとなっているとのこと。なので奈良県内のR425は事実上無人地帯を進むことになります。 交通量は皆無に近い状態です。前述の集落に行き来する地元車以外は、好んでR425を走って吉野郡下北山と尾鷲を走る人は少ないようですが、希に車が走っていることがあるので対向車には注意してください。地元車以外ではバス釣りの車か林道に向かうオフロードバイク・車ぐらいでしょう。 ■ガソリンスタンド GSはありません。最寄りは吉野郡下北山村下池原のGSとなります。 ■アドバイス 基本的に無人地帯を走ります。見通しの悪い狭路が続くのでバイク・車の運転初心者の方は複数人・複数台で行かれることをお勧めします。何か合った場合は助けを呼ぶ手段がありません。時々貯水湖をバス釣りのボートを見かけますが、まず声は届かないでしょう。 事実上の無人地帯を走ります。自販機はありませんので、バイク・車であっても飲み物などは事前に購入しておくことをお勧めします。また距離が長いため、自転車の場合は時間・体力に余裕をもって走ってください。 ■注意点 悪天候時や大雨の後は土砂崩れなどの危険があるため、走らない方がよいです。 晩秋〜早春や冬期は路面凍結・積雪があります。冬期の通行はやめた方が無難です。道路の通行規制情報を確認してから走ることをお勧めします。 街灯などの照明も設置されていないので、日没後夜間の走行は大変危険となるので注意してください。 |
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●走行DATA |
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奈良県吉野郡下北山村〜奈良県吉野郡上北山村 【終点→起点方向を走行】 >>走行日:平成21年(2009年)4月9日/平成22年(2010年)5月13日/他 |
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注意>>この区間は、走行方向問わず何度か走行しています。走行日は使用写真の撮影日のみを記載しています。 |
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■この項終わり |